7月の初旬からアシスタントが来て、早や3ヶ月が経ちました。 新卒で未経験ですが、美大のデザイン科卒ということもあり、パソコンで一通りの作業はできる彼女に、初めの一ヶ月間をかけてやってもらった作業は、「目と手のしごと」の練習でした。
かつてのデザイナーは、欧文のロゴや見出しなどを作る際、「モンセン」(若い方にはあまり馴染みが無いと思いますが)と呼ばれる大判の欧文書体見本帳から、フォントを印画紙などに複写し、そこから一文字ずつ必要な文字を切り出し、ピンセットと三角定規を使い、欧文の見出しやロゴなどを組んでいました。(もっと前は文字を手で描いていました)
綺麗な文字組の基本は「一字一字を均等に並べる」こと。(ワード間には適切なアキを与える) 簡単そうに聞こえますが、やってみるとかなりの労力が必要です。文字それぞれが違う形や幅を持っているため、数値的に均等に並べてたところで、実は均等には見えません。そのため、目で適切なアキ量を確かめながら次の文字を置くのですが、1ワードを組み上げ、1箇所でもおかしなアキがあれば、その箇所を修正するのですが、その後に続く文字たちもまた、動かさなければなりません。10文字で1ワードの欧文があったとして、2文字目と3文字目の間を少し詰める調整をしたら、4文字目以降も、同じ量を前に動かし直さなければなりません。今の感覚で言えば全くの理不尽な作業だと自分も思います。ですが、当時はそうするより他に方法はありませんでした。
欧文のフォントをよく見ると、26文字すべてにおいて、垂直水平が整っているものは、さほど多くありません。フォントを見つめていると、明朝系は言うに及ばず、直線的に思えるサンセリフですら意外なほど有機的な曲線で構成されていることがわかります。そしてデザインや、並び順によっては、一文字だけ異様に大きく見えたり、一文字だけ異様に太く見えたりすることもあります。あるいは一文字だけ読みづらかったり。フォント、ウエイト、使う大きさなど、それぞれに適切なアキは違いますから、綺麗に組み上げることが出来るようになるまで、かなり時間がかかったものでした。しかし、この作業があったことで、文字と対峙する時間は現代よりも遥かに長く、そうした作業の中で得たものは、デザインをしてゆく上で頑強な土台となっているという実感があります。自分にとって師匠とも言えるADがかつて言った「文字組みさえ綺麗にできれば、それだけでクオリティが上がる」という言葉は、現在の制作の中でも、実感の中で変わること無く貫かれています。逆に言えば、どのような優れた発想も、美しく文字組みが出来ていなければそれだけで台無しとも言えます。
パソコンでの作業が中心となった今、機械がある程度綺麗に整えてくれるようになりました。しかしそれは「ある程度」でしかなく、自身の日々の制作の中で、文字の調整に費やす時間は、一般の方が想像するより、はるかに多いと思います。私はフォントに対して「その程度のもの」という認識に立っているわけです。ところが、パソコンを使った文字組みから始めた人たちは、意外なほど、画面に出力されたものを信頼しているようです。人によってはそうして機械にジャスティファイされたものを、勝手にいじることで収集がつかなくなることを恐れているのか、手を付けることを拒む人も居ます。全くの本末転倒ですが、世の中に数多ある制作物を見ると、そうした思考停止の経緯もさもありなんと思うばかりの状態です。綺麗な文字組みなんて考えなくとも成果物は出来上がるのも事実です。経験の長い人にも、そういった人は少なくないのでは? などと思っています。
そのようなこともあり、今回未経験者を招き入れたのは、そうした癖のついていない人に、早い段階で物の見方の基礎を体得してもらうことで、次の段階で、自然に更に高いクオリティを目指せるようになるのではないかと考えたことからでした。
さて、実際に手がけさせてみると、もちろん初めは全くできません。見本帖から複写したコピー用紙の裏にのりを付け、まっすぐに並べる目安として、アセンダー、ディセンダー、エックスハイトに薄く線を引き、三角定規とカッターを使って一文字ずつ切り出し、方眼の台紙にピンセットで置いてゆきます。定規とカッターの使い方に慣れていないので、誤って文字の端を切り落としたり、先の尖ったピンセットですから、文字を貼り直しているうちに破いてしまったり。間隔の調整だけでなく、少しだけ大きく見えたり、小さく見えたり、太かったり、細かったりするものもあります。そうしたものにも調整を加え、読みづらい形の字があれば、そのフォントのルールに則って作ってもらいました。綺麗に見えるだけでなく、読みやすくする為に、デザイナーがすべきこと、「目」と「手」を使って出来ることを理解してほしかったのです。 1ヶ月かかりきりで、セリフ、サンセリフ、スクリプト、ディスプレーなど、15のフォントで自分の名前を組み上げ、次に2書体を選び、事務所の住所を組み、仕上げにイワタ活字の清刷り帳から、和文で肩書(アシスタントデザイナー)と名前を組み、最後に自分の名刺の版下として仕上げ、印刷所へ入稿し、現在はそれを持たせています。
早いものでそれから2ヶ月経ち、現在では実作業を手伝って貰っていますが、そうした経験はしっかり根付いているようで、パソコンでの作業でも気にかけるべき部分には意識的に取り組んでいるようです。こうした技術は初歩でしかありませんが、文字との関係はデザイナーにとっては生涯続くものであり、自身の優れたアイディアや企画の仕上げの要とも言えるものです。しかも、練習を重ねることで確実に身につく技術でもあります。 これから、レイアウト、造形、企画など、まだまだデザインのステップは続いてゆくわけですが、今回の経験は、本人が今後デザインと対峙してゆく中で、長く役に立つものだと思います。 まだまだ先は長いですが、本人が「目と手」を意識し、より良いものを生み出す努力を続ける限り、デザインの先輩として、見守って行きたいと考えています。そしてひとまずは「アシスタント」の冠が外れ、「デザイナー」として更に成長を続ける日を楽しみにしています。 (S)
2016-10-01 master 日々のこと